◇前向きになるために

朝、旦那を仕事に送り出すと、もうお腹で亡くなっている赤ちゃんのことで頭がいっぱいになり声を出しながら泣きました。

忘れようとしていたのに、今までは主婦の時間も赤ちゃんと一緒。一人だけど2人でるようなもの。と毎日がハッピーだったのが家事をしていてもテレビを見ていても、1人。もうお腹の赤ちゃんは死んでいるから。

たくさん稽留流産のことを調べ、その後、流産で亡くなってしまった赤ちゃんは、この世には生まれていないので穢れを持ってなく、天国に召されることがわかりました。水子供養というのもあることを知り、1人で神社にも行きましたが、お祈りすることしか出来ず、泣く泣く帰りました。

どこかの神社では流産で亡くなってしまった赤ちゃんに届けるメッセージのサイトがあったので、そこに思いの丈を伝えました。少しでもなにかしていないと落ち着かなかったです。

仏壇ではなく、赤ちゃんの写真が飾れるような場所と、その周りに髪飾りや動物や花を置いて、天国で少しでも幸せに暮らせるようにしました。

赤ちゃんのことを忘れないことも大事だと、書いてあったので写真の中の赤ちゃんに毎日話しかけるようにしています。

◇稽留流産を伝えること

旦那に電話したけど出ず、友達に第一に伝えました。旦那は昼から仕事を休んで帰って来てくれて、、、本当に心強かったのを覚えています。

しかし流産の事実は変わらない。

わたしの家族に伝えるのがとてもとても心苦しかったです。おばあちゃんになれる、おじいちゃんになれる、と嬉しそうに話していた父母。叔母さんになれると喜んでくれた妹。期待させていたぶん、本当に申し訳なかったです。

当たり前だけど優しい返答が帰って来ましたが、わたしのせいでみんなが暗い気持ち、悲しい気持ちになるのがとても苦しかったです。

3日後に手術を控え、身も心もどうにもならないくらい切ないのに先のことでまた不安な気持ちに押しつぶされそうになり、逃げ出したかったです。

◇稽留流産と言われた日のこと

この気持ちを忘れないようにと、ツイッターやインスタグラムなどのツールがある中、どこにも吐き出せない思いを綴りたく始めました。

流産という悲しく辛いことを味わった今、本当に世界が真っ暗に見えますが前向きに生きたい!過ごしたい!と明るい未来に向かって頑張ろうと思います!!!!

稽留流産と言われたのは妊娠7週目の心拍確認の日でした。6週目では聞こえず次回には心拍を、、、と言われていたので心拍が聞こえる嬉しさに朝一で産婦人科に足を運んだのを覚えています。一緒に超音波検査を確認すると先生が『育ってないね』と、一言伝えずらそうに言っていました。最初は、ただうなづくことしか出来ず、『子宮には赤ちゃんがいるんだけど亡くなっている』と説明してくれ、本当だと7週目はこのくらいの大きさなんだよ、と正常に育った赤ちゃんの写真を見せてくれました。頑張って理解しよう、認めよう、と思えば思うほど悲しくなり我慢していた涙が溢れてしまいました。先生に迷惑かけちゃいけない、と頭ではわかっていたけど妊娠がわかって約3週間ほどは一緒に過ごしてきた新しい命、愛おしい我が子。涙が次々に出てきて帰りの道のりは泣きながらであまり覚えていないくらいでした。